悲報

訃報『羽仁未央』

2015/01/05

羽仁未央さんが、昨年11月18日に亡くなっていたそうです。
t2001t2001さんのブログ「究極の傍観者」で知りました。
ご冥福をお祈りいたします。

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 羽仁未央さんはあまり記憶にありませんが、お父さんの羽仁進さんの作品は若いころに見ました。
 私の恥ずかしい青春時代の話です。

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 『メープルリーフ』の曲も何曲か作品内で使われていました。とても印象に残っております。ところでどなたかこのアルバムをお持ちの方、YouTubeにでもアップしてもらえませんかね。
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 今知りましたが、人としては‥だったようです。
 でも私に他人様の人間関係に首を突っ込んでとやかく言う筋合いはありません。

引用  <1977年7月>

夫 羽仁進と娘を13歳下の実妹に奪われた左幸子

羽仁進(当時48)と左幸子(同47)が18年間の結婚生活にピリオドを打ち、正式に離婚したのは7月19日のこと。2年前から別居。羽仁は周囲に「お互いの仕事のために別々に住んでいるだけで、即離婚にはつながらない」と説明していたが、修復は不能になっていた。

 だいぶ前から破局説が流れていただけに、離婚を驚く者はいなかった。芸能記者や関係者の間に衝撃が走ったのはそれから4カ月後。11月8日、羽仁は早くも再婚。相手の額村喜美子さんは左の実妹だった。

 左は3男5女の一番上。喜美子さんは7番目で左より13歳下だった。
 美術大学を卒業した喜美子さんが羽仁家に出入りするようになったのは64年2月、羽仁と左の間に一人娘の未央が生まれて間もなく。映画「幕末太陽傳」や「にっぽん昆虫記」の好演でオファーが殺到していた左に代わり、未央の世話をするようになったのだ。

 喜美子さんは羽仁プロに入り、プロデューサーも務めるようになる。いつもそばにいる喜美子さんと羽仁の間に恋愛感情が芽生えてくるのも自然の成り行きだった。

 羽仁と左の破局が決定的となったのは74年初頭。羽仁は左に一言も告げずアフリカに渡り、1年以上も音信不通になってしまったのだ。未央と喜美子さんも同行していた。

「左は未央ちゃんとスケートに行く約束をしていたんです。ところが、いつまで待っても約束の場所に現れない。すでに日本を発った後だった。未央ちゃんは左よりパパや喜美子さんを選んだんです」(芸能記者)

 人を介して事実を知った左はパニックになり、発作的に自殺を図った。夜中にカミソリで手首を切ったのだ。あふれ出した血を見て我に返った左はばんそうこうで応急処置し、事なきを得た。だが、興奮は収まらず、左は再びカミソリを手に握り、髪の毛を半分、切り落としてしまった。

 翌年になってやっと羽仁たちが帰国したが、彼らが左のいる家に戻ってくることはなかった。
「羽仁さんの再婚後も左さんは妹の喜美子さんに気を使い、恨み言を漏らすことは決してありませんでした」(同)

 離婚後、前にも増して仕事に精を出すようになった左を病魔が襲う。80年代半ば、胃がんが見つかり、摘出手術を行うが、体調はなかなか回復しなかった。それでも意欲は衰えず、テレビのバラエティーにも進出。「快傑熟女!心配ご無用」(TBS)のレギュラーパネリストとして忌憚(きたん)のない発言をして人気を呼んだ。

 再び脚光を浴びる中、胃がんが再発。全摘手術を受けたが、がんは肺に転移し、01年11月、71歳で帰らぬ人となった。

 品川の一軒家で営まれた密葬に親族100人ほどが集まったが、羽仁や喜美子さん、未央が姿を現すことはなかった。
 親族から実母の死を知らされた未央は、「あの方とは親交がなかったから」とだけ答えたという。

(ゲンダイ)
 

 いつか、『初恋・地獄篇』と『午前中の時間割り』については書き留めておきたいと思う。

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