日本人の名誉のために

ブルネイの発展に尽くした日本人…木村強

2016/07/13

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「ブルネイの発展に尽くした日本人~ブルネイ国王は日本を訪ねて探し回ったが、見つけ出せず帰国…そして」

最貧国「ブルネイ」の富裕国変身の一助となった人

バンダービルド

 東南アジアのボルネオ島の北部に位置している国が「ブルネイ」だ。石油や天然ガスなどの地下資源が豊富で、経済に大きな恩恵をもたらしている。国民には税金がほとんどかからないし、医療費もほとんど無料だ。
しかしこの国は、過去には非常に貧しい国だった。この国が今日裕福な国になることができたきっかけは、日本人から始まった。その日本人がブルネイに来たのは70年以上前のことだった。
 1941年から日本は、当時アメリカ、イギリス、オランダの植民地状態にあった東南アジア地域を順次占領していった。 1942年に日本は英国の植民地のブルネイに侵攻した。イギリスは退去し、日本がブルネイを占領するようになった。
 日本はブルネイを「日本国ブルネイ県」に制定し、日本の統治下に置いた。そしてその時、日本政府によって、ブルネイ県の知事に任命されたのが、木村強(当時41歳)氏だ。宮城県出身の木村氏は、すでに宮城県庁に勤務しながら、商工業課長などの要職を経験した状態だった。
 占領地行政を担当する司政官の役割として現地に赴任した木村氏が初めてしたのは、当時のブルネイ国王の「アハマド」王に会うことだった。ブルネイが日本に占領されて「日本国ブルネイ県」に変わったが、日本は元の国王の地位と権威をそのまま認めた。

 木村氏は国王を最大限に尊重し、礼儀を整えて会った。また木村氏は、国王に一つのお願いをした。ブルネイ人一人を推薦してほしいということだった。木村氏にとってブルネイは未知の国だったので、ブルネイの事情をよく知っている秘書官の役割をしてくれる地元の人々が絶対に必要だったのだ。 
 国王はこれに対して、ブルネイの青年を一人、木村氏に紹介した。 「オマル・アリ・サイフディン」という名前の26歳の青年だった。自分の祖国を占領した日本が派遣した司政官の要求に、国王は素直に応じたが、当時は国王を含むブルネイ人たちは皆、日本を信頼していなかった。直前までブルネイを支配していた英国の最大の関心は、唯一油田開発だけだったからだ。そして油田開発に伴う収入はブルネイ国民には還元されていなかった。これにより、ブルネイ国民の大多数は、貧しい生活をするしかなかった。
 ブルネイの人々はこういった経験のため、当時の日本もブルネイ近海で発見された油田を開発することだけに関心を持っていると考えていた。木村氏の秘書になったオマル青年も、日本に対してそう思っていた。当時、日本政府がブルネイ近海の石油資源に大きな関心を持っていたことは事実でもあった。ところが木村氏がオマル青年に現地視察の地域として案内してくれるよう要求したのは、石油資源関連地域ではなくて、一般的なブルネイ国民が居住する貧しい村だった。
当時のブルネイの村は、ほとんどが密林に囲まれている状態で、道路のようなものもしっかりなかった。
国土の80%が熱帯雨林地帯のブルネイは、自生ゴムの木が豊富に育っていた。
天然ゴムが豊富なことに注目した木村氏は、日本軍の資金を利用し、ゴムを製造する機械を導入し、大々的に造成して、多くのブルネイ人を正当な賃金を与えて雇った。
 もちろん木村氏の主な任務の中には油田開発もあったが、天然ゴムからゴムを製造した後に生じた収益を日本軍の収益には入れず、現地の水道施設や通信施設などのインフラに投資した。当初の日本軍の資金を使いつつ、施設(ゴムの製造)投資で得られた収益を、日本軍のためではなく、地元の人々の生活を向上させるために投資したのである。石油施設以外の用途に投資するのは、当時の日本政府の方針に違反する行動で、左遷や投獄される可能性のある危険な行動だった。しかし木村氏は、このような危険を冒してやり続けた。
 木村氏は次のようにして大規模な農場を造成することにした。自給自足に満足し、「私の家族が食べられるぶんだけあればよい」というライフスタイルから抜け出せずにいたブルネイの人々に向かって、木村氏は、お互いに協力して大規模に農業をするほうが、はるかに豊かな生活が可能だということを力説し、人々を説得してあっちの村そっちの村を回った。
 地元の秘書のオマル青年は、徐々にこういった木村氏を信頼し始めた。そして赴任後数ヶ月で、ブルネイの人々は、こういう姿の木村氏を少しずつ尊敬し始めた。木村氏はさらに積極的に動いた。木村氏はオマル青年に、「イバン族」の居住地を案内してほしいとお願いした。ブルネイは王家が属するマレー系以外にも、いろいろな部族がいた。
 しかし、その中でも「イバン族」はマレー系などの他のどの部族からも最も排斥されている部族だった。イバン族は伝統的に、他の部族との関係が悪かったし、特にマレー系部族とはほぼ敵対関係だった。人の首を斬るひどい悪習もはばからない未開で野蛮な部族だった。
 木村氏はブルネイを根本から改善させていくには、ブルネイ内部の部族の団結と、一つになった心が何よりも重要だと考えて、イバン族の協力を得ようと多くの努力を傾けた。イバン族は日本軍が以前ブルネイを支配していたイギリスを破って占領した時、自分のエリアに入ってきた日本兵を捕らえて、その首を斬り捨てたことがあるほど野蛮な部族だった。
 それでも木村氏はオマル青年と同行して、慎重にイバン族を訪ねて説得する努力を放棄せず持続させた。こういった説得作業と並行して、様々なインフラの構築でイバン族の居住地域を優先的に適用するための努力を継続した。その結果、少しずつイバン族の人々の心が開かれ始めたし、イバン族の人々も最終的に木村氏を信頼し始めた。最終的に木村氏のさまざまな努力のおかげで、イバン族と他の部族との間の関係は、徐々に良くなっていった。狭い土地なのに多民族で構成されていて、たくさんの葛藤が絶えなかったブルネイは、最終的にお互いに協力して一つになるという雰囲気が造成された。
 しかし残念ながら木村氏の努力は長くは続けられなかった。木村氏がブルネイ県知事に任命されて一年余り経ったとき、日本政府からマレーシアに移動するよう命令を受けたからだ。木村氏には物足りなさが大きな一年だったが、ブルネイ人にとっては木村氏と共に過ごした一年は奇跡の一年だった。短い時間だったが、その時間で決定的にブルネイの人々の思考が変わり、行動が変わり、生活が変わるきっかけになった。
ブルネイでの最後の日と関連して、木村氏は手記にこう書いた。
 
<わずか1年だったが、地元の幹部が別れを迎えて私の前で泣き続けた。私も涙が出てしまった。去る最後の日、地元の幹部とほぼ1時間半に渡って、互いに惜別の物足りなさを分かち合い、共に過ごした。彼らを見守りながら、この人々が私を本当に信じてくれたという気がして嬉しく、とてもありがたかった。一年間それなりに苦労をしたことが、それでも多少なりともここの人々のために有用だったと思って、初めて安心した。>

 木村氏がそのようにしてブルネイを去ってから22年の歳月が流れた時点(1964年)で、木村氏は日本で検事として勤務していた。木村氏はブルネイを去って以来、よくブルネイを頭に思い浮かべた。しかし当時の日本は、1963年までは、正式業務や留学目的以外の理由での海外渡航を規制されていたため、木村氏は当時、個人的にブルネイを訪問するということは考えられなかった。ブルネイ国王に宛てた手紙でも一度送ってみようかとも時々考えたが、当時の日本は敗戦国の立場だったので、そういうことも簡単に行動に移せなかった。
 そんなある日、いつもと変わらず仕事の準備をしていた3月6日(1964年)、木村氏の元に手紙が一通送られてきた。送信者は「上野辰郎」という人で、木村氏がブルネイにいたとき、日本の総合商社から派遣されてブルネイで勤務していた人だった。終戦後もお互いに親交を維持していた関係だった。
 手紙の内容は、上野氏の知人がブルネイ国王と面談をしたが、そのときに国王がこう言ったということだった。
<戦争のとき、ブルネイ知事として派遣されてきた「木村」という名前の男性に是非一度会いたいのですが、何か方法はないでしょうか?>
 しかもブルネイ国王は、それ以前、木村氏を探すために直接日本を訪問して探しまわったこともあったが、結局は探し出せず、帰国したという。手紙の最後には<私と一緒にブルネイ国王に会いに行きませんか?>とあった。木村氏はためらうことなくブルネイに向かった。木村氏はこの時の気持ちを手記にこう書いた。
<22年前の恋人に会うようなワクワク感がある。あらゆる想像で心臓がドキドキする。心臓の鼓動が手に負えないほど速くなっている感じだ。>
 木村氏は結局、ブルネイ国の王が住む宮殿の中に案内されて入った。しばらく控室で待機した後、国王と向き合ったとき、木村氏の前には驚くべきことに、過去に自分の秘書青年だった「オマル」が立っていた。オマルはブルネイの国王になっていたのだ。オマルは過去に木村氏がブルネイに赴任した当時、国王の弟だった。
その後オマルは、兄の地位を受け継いで、ブルネイの新しい国王に即位したのである。

元秘書のオマル・アリ・サイフディン3世 国王

元秘書のオマル・アリ・サイフディン3世 国王


 二人は過去の複数の思い出などを思い浮かべながら、時間が経つのを忘れて話を交わした。そして別れるとき、オマル国王は、木村氏に向かって、「もう一度ブルネイで働かないか」という提案をした。木村氏はその提案に驚いたが、しばらく考えた後、丁重に断った。なぜならブルネイは、すでに木村氏が勤務した当時よりもはるかに発展していて、何よりも木村氏の願いどおり、ブルネイ人が互いに和合し、自らの力で発展を遂げた状態だったからだ。
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 木村氏には、この世を去るまで大切にしていた物が一つある。再会を終えて別れる時に、オマル王が贈り物として渡したブルネイ固有の工芸品だった。ブルネイ人の真心が込められた贈り物として、木村氏死去の後、今日も遺族によって大切に保管されている。
 今日もブルネイは、日本との関係が格別だ。ブルネイで算出されている天然ガス輸出量の90%が日本に向けたものである。東日本大震災の際は、オマル国王の息子の今の国王が、100万ドルの義援金を日本に送ったし、ブルネイの一般国民は24万ドルを調達して励ましのメッセージと共に送った。木村氏がブルネイで今日も尊敬を受けている理由は、彼が「和」(部族間の協力、団結)の精神をブルネイに自ら実践で伝播したからである。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=135815&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1



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